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真紅眼の黒会社(レッドアイズブラック会社)

IT業界全般

注意:
今回の投稿は意味のない内容です。
単に私が経験した忌まわしき過去をインターネットの海に不法投棄しているだけです。

内容にはところどころフェイクを入れていますが、概ね真実をそのまま記載しています。
そのため、見る人が見れば「あっあの会社か」とわかるレベルの内容です。

 

 

 

これは一人の理系大学生の就職体験記である(ドキュメンタリー風

地獄の就活編

始まりからクライマックス

大学3年の秋頃、そろそろ就活を始めなきゃなぁ〜でも何をやればいいのかわからんし~せや!大学の就活セミナーに参加しよ!とセミナーに参加したところから物語は始まります。

セミナー講師「ここにいる3年生の皆さんはもうすでに100社程度はエントリーが済んでるよなぁ?まだ済んでないヤツなんていねぇよなぁ!?!?!?」

ぼく「エントリーってなんですか?(゚∀゚)」

周りの学生達は「50社60社しかエントリーしてないよぉ〜さすがに100社は無理だよぉw」とか話していたのを今でも覚えています。

まぁそこそこ受かるやろ^^と思っていたのですが地獄でした。

 

そもそもの時代背景

ちょうどリーマンショック直撃の真っ只中で、各社が採用を見合わせるか超狭めるという厳しい状況でした。下々の小さな会社にはまだ影響はないと甘くみていたのですが、ところがどっこいバリバリ影響がありました。

高校2年生から7年間ずっとバイトとして働いていたスーパーの正社員採用に1次面接で落ちました。
しかも1次面接は5人の集団面接で、出身大学と大学で何を専攻しているか程度しか話していません。正味10分くらい。1次落ちになったのを当時の店長と副店長、仲の良かった社員に話したらめちゃくちゃビックリしてました。当時私はクソ真面目にバイトしていてよく話していたので。
※ちなみに後日談として、どうやら超高学歴な人たちを優先して採用した結果、その年の採用の学歴がとんでもなく高くなっていたとの事(副店長からこっそり教えてもらった)
※さらに後日談として、高学歴な人たちは1年経たずに辞める奴が続出して、結局学歴関係なくフツーの奴を採用していれば良かったんじゃね?との事(これも副店長談)

とまぁそんな感じで、一流企業やら大企業やらが採用を絞りに絞った結果、高学歴の人たちがランクを落としまくってその辺の中小企業を受けまくるもんだから、目のくらんだ中小企業は学歴採用をしてしまったということが多かったみたいです。実際に就活の中でも、なんでその学歴でこんな片田舎の従業員十数人の低待遇()な会社の説明会にきてるんだ?という高学歴な人がすごく多かったです。

 

地獄の面接

今だと逆に訴えられかねないような圧迫面接も当時はやりたい放題でした。企業側が圧倒的に有利だったからなぁ。

採用担当「え??君その大学でウチ受けるの?wwwwwwwwウチに君の大学の卒業生いないけどwwwwwwwwwまぁ頑張ってw」
とか笑いながら煽ってきたおっさん社員はN○Tの下請会社。10年以上経った今でも覚えてるぞ(ニコッ

採用担当「…では…の話…い(超小さい声)」
ぼく「!?すみません緊張して聞き取れなかったのでもう一度お願いします」
採用担当「はぁ?(クソデカボイス)学生生活で苦労した話をしてください」
ぼく「はじめからその声量で話せよ(ありがとうございます)」
とか言ってきた某倉庫管理システムの開発会社さん。人間か?というレベルで声が小さくてビビりましたけど、ため息だけは超でかかったです。

採用担当「次回は現場責任者との最終面接です」
採用担当「次回は最終面接で社長との面接です」
採用担当「次回は最終面接で会長との面接です」
などと最終面接詐欺を繰り返して結局トータルで面接4回、筆記試験も込みにすると合計5回も埼玉の超田舎まで往復交通費自腹3000円で赴き、結局大学4年の7月末にお祈りメールしてきた電設会社さん。こっちは何度も行き過ぎた結果、10年以上経った今でも会社名どころか住所もだいたいの場所も覚えてるからGoogleMAP開けばすぐ場所指定できるゾ(笑)

そんなこんなで大学4年も暑い中就活を続行した結果、9月に筆記試験1回+面接1回実施でその日のうちに内定を出してくれたレッドアイズブラック会社(以後R社)に即決めてしまいました。これが悲劇の始まりでした。

ちなみにその時は並行して小さなSES会社(後で知ったけどさらにブラック)と独立系ITベンチャー(数年後会社が爆発)が最終面接待ちで、さらにド○キホーテから何故かオファーの連絡があったのですが全部お断りしています。
ドン〇ホーテは確か説明会だけ行って保留にしていたような記憶があります。当時の冷え切った就活状況の中でオファーしてくれたからドン・キ〇ーテさんは今でも好きです。

 

就活の結果

就活期間:大学3年の10月~大学4年の9月
説明会参加:60社位
選考:34社
最終面接:3社(うち辞退2社)
内定:1社

就活でかかった交通費:15万円位(1社以外全部自腹)
交通費を出してくれた日〇さん、今でもマジで愛しています。家電は結構〇立製のものを買っています。

ちなみにこれでもわりと普通で、当時は100社200社選考している学生も普通にいました。34社でも卒業研究&バイト&就活の3つ同時並行でメタクソ死にそうになっていたのに、100社選考とかよくそんな余裕あるなってレベルでした。主に金銭面で。

当時のバイト代は月5万、長期休暇で月15万でした。大学の交通費で月3万円消えていたので、そこに就活の交通費を合わせたら月4万円。バイト代はほとんど交通費で消えていました。JRさんにいっぱい課金しましたよ。

 

なんとか卒業研究をクリアし、4月からピッチピチの社会人!!!

両親からは、「どんなにつらくても3年は働け」「世の中はそんなに甘くない」などと言われつつ、4月を迎えたのでした。

 

地獄の新人研修編

ここからはR社に新卒入社後に発生した色々な事件や面白ブラックエピソードを記載します。

その1 罵声大会

R社では、新人は4〜6月の期間、親会社(以後B社)が保有する研修用ビルにて外部講師+自社講師(という名の監視員)による研修が行われます。同期34人はB社の新人50人程度と共に同じビルにぶち込まれます。ただ会社ごとに階が別れているので会社間の交流はあまりなかったです。
なお、B社は業界内でも有名なドブラックで体育会系のIT企業。R社はB社から独立した会社なので名目上は別会社扱いで子会社でもないらしい。まぁどう見ても子会社なんですが。

新人研修は凄まじく、まず講師陣が入室したら即座に起立し直立不動、入り口の方を向いて大きな声で挨拶をしてオジキを完璧な角度でキメなければなりません。オジギの角度が浅かったりタイミングが少しでもズレようものならお説教です。シンクロナイズドオジギの世界大会を目指しているようでした。

外部講師による講義中、講師から投げかけられた質問に対して回答する人は挙手するシステムなのですが、常に最速で手を上げることが要求されます。少しでも挙手の速度が遅かったり、そもそも挙手しなかったりした場合は罵声が飛んできてお説教タイムです。

あまりに受講態度が悪い(返事が少し遅かったとか声が小さいとか挙手を1回していないとかそんなレベル)と、個室という名のお説教部屋に呼び出されて1vs1のお説教1時間。

たまに重役がひょっこり現れて自社講師と歓談、もしそこで重役の目にとまると呼び出されてお説教部屋で説教タイム。

軍隊かよ。

この時点で同期が1人消えました。

 

その2 強制無給残業システム

新人研修自体は基本9~18時で終わるのですが、ほぼ毎日のように18時過ぎから以下のイベントのどれかが必ず開催されます。

・先輩社員から現場の実際の話を聞く座談会(2時間)
・社長やその他重役のありがたいお話を聞く会(2時間)
・当日の研修の内容をグループ内でまとめて発表(2時間)
・自社講師からのありがたい説教(2時間)
・翌日の研修内容の自主勉強(強制)

もちろんこれらを放棄して18時で帰ることは許されませんし、何も生産していないので残業代が出るわけないだろということで残業代も出ません。だいたい20〜21時まで拘束されます。22時まで残っていると流石に怒られますが、怒られる理由が「俺ら講師陣が帰れないから」。多分18時の定時で帰れたのは初日と最終日ぐらいだと思います。最終日については、翌日からの現場配属に影響するとまずいので早く返せとのお達しが上層部から出ていたようですが。

 

その3 アルカ○ラズ収監イベント

この研修内容を出してしまうと多分会社名がバレるんですけど、新人研修の期間内で泊まりがけの研修合宿がありました。確か2泊3日くらいでそこそこ山の中の施設でした。施設自体は一般の保養施設でフツーに綺麗なんですが、まぁ研修内容がヤバくてですね。

・新人数人のグループを組まされる
・10年目のベテラン社員数人が本気出してもギリ終わらない程度の難しい課題を出される
・到底進捗なんて上がるはずもないので遅延しまくる
・事あるごとに罵声が飛んできて皆の前で怒られまくる
・質問すると怒られる
・質問しないと怒られる
・質問を考えていると怒られる
・メモを取ると怒られる
・メモを取らなくても怒られる
・兎に角怒られまくる
・心を折られすぎて精神がおかしくなる
・お前ら寝ろよ?(寝させねぇけどな)という事で、夜通しグループ内で必死こいて課題をこなすことを強制される
・夜、講師陣が各グループの部屋を回り一人ずつ集中攻撃して泣かせていく
・初日は貫徹、2日目は朝4時位まで必死に作業とレポート纏め
・あまりにエンドレスで怒られ続けた結果、帰り道は誰も一言も喋らない肉人形と化す
・先輩の代の同研修では説教中に新人の足の骨が折れたことがあるらしい(?)
・風の噂では研修施設から逃げ出した新人がいたらしい(どうやら同期らしいが他人のことを気にしてる余裕がなくて気づかなかった)

こんな感じのフツーじゃない研修を経て、晴れて現場配属となりました。

この時は「はえー社会ってやっぱり厳しいところなんだなー」としか思っていなかったです。洗脳されていたのか、はたまたアホだったのかは分かりません。多分アホだったんだな。

 

地獄の現場編 1年目

先輩社員が多い現場なので安心ですね(暗黒微笑)

私が新卒で配属されたプロジェクト(PJ)は先輩社員の数が一番多い現場でした。PJに参画している会社の中でも多分多いほうで1フロアに3桁人数位いるレベルでした。契約的には4次受けの会社でしたが、R社はB社の分家みたいなものなので、立ち位置的には実質3次受け会社の扱いでした。B社社員からもほぼ自社社員扱いされてたので。ちなみに最大で6次受け会社の人までいたようです。この時点で客先常駐なんて難しい言葉を知らず、はえーでかい現場やなぁとしか思っていませんでした(アホ)

当然ながらB社の社員の人数は非常に多く、B社の新人の輪の中に放り込まれました。
親会社は体育会系で新人研修もR社よりキツい。つまり・・・あとはわかるな・・・?

 

あっ言い忘れてたけど炎上中

なんかみんな残業してるなーとか思ってたんですけど、配属してしばらく経った時、明らかに仕事量がおかしいことに気づきます。というかフロア全体がなんだかおかしいことに気づきました。朝出社すると会議室から出てくる寝起きの人、座席で寝ている人、すでに仕事をしている人、フロア全体数百人のうち3割ぐらいがそんな感じなんです。

そうです。典型的なやばい系PJでした。なにがやばいのかは後でわかるんですけどね。

一番やばたにえんな事件としては、業務中に文字通り頭がおかしくなった人が突然叫んでぶっ倒れて救急車で運ばれていきました。夢と現実の区別がつかなくなってしまったとのこと。いやマジでヤバすぎだろうが。みんな誰も笑えなかったというか、まぁそうだよな・・・みたいに他人事じゃないような顔をしていました。

 

終電時間は概念

現場配属半年も経つと一人前の最前線兵士として戦わされ始めました。22時ぐらいになるとようやく帰れる雰囲気が出てくるけど、だいたい23時過ぎまでいるみたいな感じでした。

一応、終電を逃して現場に泊まるプランは極力避けるという謎の暗黙の了解があったので、各メンバーの終電時間をなんとなく把握するようになっていました。まぁそれもしばらくしたら崩壊するんですが。

入社半年で早くも終電帰宅という状態が頻発して発生するようになりました。

 

地獄の現場編 2~5年目

鬼スケジュールの理由

なんでこんなにスケジュールがきついのか。その理由は、3年目に開発チームの管理職になった時に判明します。

例えば工程がA、B、C、Dと連続してあったとします。
通常であれば、A→B→C→Dと1行程が終わると同時に次を開始して順番に対応していきます。
もしAの工程とほぼ同時にBを開始すれば、A(B)→C→Dとなるので、本来のBの工程を短縮できます。
つまりですよ、A(BCD)というように全行程をほぼ同時スタートさせれば、全体のスケジュールをめちゃくちゃ圧縮できるんですよ!!!!!!

・・・馬鹿か?と思う程度には冗談のような全体スケジュールになっていました。全体スケジュールは上流会社が策定するので意見不可。そりゃ全員デスマになるわ。

工程圧縮の考え方のほかにも、例えば毎回スキルや知見が蓄積されるので少しずつ作業スピードが上がって生産性向上していくのでスケジュールは毎年短くしても良いという謎の理論も同時に実装されていました。現実としては、実際に最下層で稼働するパートナー会社のメンバーは入れ替わり立ち替わりが激しいのでスキルや知見が蓄積されることはあまりなく、より厳しいスケジュールが降りかかってきて嫌になったパートナー会社のソルジャー達が離脱するという悪魔の循環システムになっていました。

 

その仕事量マジ?

本来、チームの管理職の仕事はチームのタスク管理や成果物のレビュー、上位会社との各種調整等だと思いますが、この暗黒PJでは「エンドクライアントからの問い合わせの調査」も背負っていました。正確には、1次受け担当者が答えられないので2次受け担当者に横流しされ、そのままスルーで3次受けの僕らに落ちてくるみたいな構図です。
なんでかというと、技術的な仕様のみならず業務仕様もなぜか3次受けの開発部隊のほうが詳しくて、なぜか最下層の会社に完全理解している有識者がいるという謎PJでしたので。

エンドクライアントからの問い合わせというのはつまり本番環境を利用した調査ということもあり、非常にリスクを伴う大変な作業となります。それを3次受け開発部隊の使い捨て兵士に任せていいのか?と思うところはありました。

当然、エンドクライアントからのお問い合わせは簡単な内容から超難しいものまで幅広く、その調査に8時間かかった場合、通常業務を午後8時からスタートし、翌朝までやるなんてことは日常茶飯事でした。

スケジュール調整?許されるわけなかろうが(´・ω・`)

1日は3人日あるんだよ(名言)
※1日は24時間であり、1人日は8時間。つまり1日で理論上は3人日、つまり3倍働くことが可能という世紀の大発見をした管理職による名言です。

その人が引いたスケジュールでは、今日の作業量はAさん2.6人日、Bさん2.4人日、Cさんは昨日徹夜だったので1.5人日ね。とかいうエクストリームな線表になっていました。

 

強制休日出勤

PJ体制の関係で、わりと頻繁に休日にもPJメンバー内の誰か数人が出勤しなければならない仕組みになっていました。元請けとか2次受けが主に担当していたのですが、なぜか3次受け会社の社員まで休出要員に抜擢されました。

さらに、拠点として関東地方と関西地方の2か所にあり、どちらにも出勤しなければならないという鬼仕様のため、関東のメンバーが関西まで新幹線通勤するということもありました。実際に私も何度か関西まで新幹線通勤しています。言い忘れていましたが日勤夜勤どちらも発生するので、土曜日の昼過ぎに東京を出発して17時位に現場着、夜通し作業して日曜日の朝9時に開放され、13時ごろに東京駅行の新幹線に乗って帰還とかいうスケジュールも稀に発生しました。
新幹線代は流石に指定席で全額支給で、泊まりが発生する場合のビジホ代も全額支給でした。さらに運が良いと間に1日暇が出来るので京都旅行もOKなゆるゆるスケジュールが割り振られます。超ごくまれでしたけどね。

まあ強制休出があるのはまだ全然いいんです。

ぼく「現場都合で強制的に休日出勤になったので、振休を取っていいですか?」
R社「いいよ。取れるもんならな」

管理職が現場を休むなんて言語道断だよなぁ??あとはわかるな?

あっ、ちなみにR社では2年目から全員年俸制に移行して全員管理職になります( ^)o(^ )

ちなみにちなみに、その暗黒PJは爆発四散してもうこの世には存在していません。
なお、後続の別PJは存在する模様(#^^#)

 

「最近の若い奴らは・・・」x100

ここでまたR社のターンが到来します。実際に現場で死にそうな顔をして働いているのは20~40代の若手~中堅の社員達です。特に20代は若いからということで2徹3徹当たり前みたいな風潮です。
そんな若者達に、現場の50代以上の先輩社員は「最近の若い奴らは根性がない。俺らが若い頃はもっと大変だった」などとテンプレートのようなご高説を延々と語りご指導いただきました。

そんな50代以上の人たちは毎日ほぼ定時。それでいて年収は約2倍。
50代以上は定時で帰り、それ以外は終電か徹夜という極端な現場になっていました。元請けから見ると、僕らの会社のメンバーは全員「3次受け兵士」扱いのはずなんですけども。

50代以上の社員の中には尊敬できる先輩も一人ぐらいいたような気がしなくもない気がしましたけど、50代以上は全員が親会社からの移籍メンバーなので、つまり体育会系のノリです。先輩は無条件で敬え、お前らは苦労が足りない、俺が若い頃は(略)を一生ループします。

ここでゴマを擦れればいい感じに出世できます。私にはできませんでしたので、迫害コースに入りました。

 

お前の給料は会社から出ているんだ(キリッ

後輩にゴマスリが上手い奴が一人入ってきました。ここでは後輩Aとします。後輩Aは重役のお気に入りで相当にゴマスリが上手いです。その後輩Aが現場である事件を引き起こし、後始末というか火消し対応を、私を含めた若手の先輩数人で必死こいて鎮めました。私は2日間帰れずに泊まりました。後輩Aはしっかりと定時で帰っていました。

後輩のしたことは上司の責任、それ自体に異論はありません。ただ、後輩のやらかしたことの内容が「手順を教えられたけど守るのが面倒なので完全に独自にやっておいた。もちろん黙ってやっていた。手順の検証はしていないけど多分あってると思うから問題なし」だったので、流石においやめろ案件。案の定間違って大問題になってるし・・・

幸い、元請けと2次受け会社の担当者とは日頃よく話す中だったので、スーパー土下座外交と根回しのお陰でなんとか上手いこと火消しに成功してことなきを得たのですが、、、その直後の社内人事査定で、

・私→お前やる気あんの?成果も出てねぇくせに。責任感を持って仕事しろよ。後輩Aを見習えよ。やる気に満ち溢れてるぞ。それだからお前はダメなんだよ。評価無しだぞ。
・後輩→チャレンジ精神!!!素晴らしい!もっと成長してスキルアップしようね!!高評価!

( ^ω^)

会社役員から直接賜ったありがたいお言葉を以下に記します。
「お前に給料を払っているのはうちの会社だ。ということは、まずはうちの会社の人間に気に入られるようにしなければダメなんだよ。お前は会社のことを何も考えていないしやっていない」

「お客様のことを常に一番に考えます!」っていう社訓があるのだけど、それは嘘だったと?

この事件により完全に会社辞めるマンになりました。流石に辛抱できず、信頼できる先輩にも泣きの相談をしました。まぁその先輩達も辞めていきましたけどね。

 

地獄の社内行事

業務時間外に強制される資料作成

年に4回、各個人が定めた目標の進捗報告会というものが開催されます。もちろん休日に。

が、それは表向きで、実際には「会社上層部のストレス発散会場」となっています。

まずどんな目標を掲げようとも、会社の上層部にオキニ登録されていない迫害対象の社員は、若手30人以上の前で公開処刑されます。私も年4回ほど毎回処刑されていました。こいつはダメな奴なんだと若手30人以上に周知される儀式です。実際にほかの若手30人の様子はというと、火の粉が降りかかってこないように”必死に道端の石ころ”になっていただけですけど。ぶっちゃけ若手の退職を加速させていただけです。

某転職サイトには、この”進捗報告会”のことがバッチリと詳細に書かれています。しかも複数人。書いてある内容は概ね真実であり、嘘偽りのないことが書いてありました。やはりこのイベントは転職(退職)を加速させていただけのようでした。ちなみに転職サイトに投稿したのは私ではありませんので悪しからず。

その進捗報告会で使用する資料は事前に作成しておく必要があるのですが、当然建前は「己の成長のためのもの」なので、業務時間外に作成することが強いられます。実質業務命令なので仕事だと思うのですが。ま、そんな常識が通用する会社じゃないので・・・

そんなこんなで少ない自由時間もこの資料作成に充てられるので、休みが休みじゃなくなります。

ちなみにこの行事が行われた後は、誰かが辞めることが非常に多かったです。毎年3~4人は辞めていき、34人いた同期も3年目の時点で10人程度、5年目の時点で6人程度しか残っていませんでした。

同期の3年以内の実測離職率が確か70%くらいだったかな?5年以内だと私も含めるので80~90%くらい。

根性ねぇ世代だと思われるとアレなので、辞めていった同期のその後についてです。新人研修で散々使えないと罵られて1年目で辞めた奴は、数年後に会社を立ち上げて社長になりそこそこの規模にまで成長していたり、一緒にツーリングに行ったこともある別の同期は、転職後に業界内のセミナーで講演する程度まで有名になるなど、各舞台で活躍している人が多いです。

 

定時後に行われる全社会議

客先常駐が主体の会社なので、当然全社員が一度に顔を合わせる機会はありません。月に1度だけ、全員が集まりシャッチョさんのありがたいお言葉を拝聴する儀式がありました。

これが地味に面倒で、間に合うように出るには現場を定時前に出ないとダメで、ただでさえきつい業務をなんとか調整して出席しないといけません。もちろん欠席なんて許されません。教祖様のお言葉を拝聴する機会を無碍にはできません。

あ、安心してください、もちろん無給ですよ。労働時間に入れていいとかいけないとか話がありましたけど、労働時間に加えている人を見た記憶がありません。なんなら全社会議の後にまた現場に戻って仕事をしていましたよ。22時くらいからね。

 

社員旅行行きたくないでござる

社員旅行はまぁ強制です。もちろん現場スケジュールなんて関係なくねじ込まれますから業務調整の難易度は最高クラスです。そして旅行先では40代以上の先輩社員への接待業務を強いられるので楽しめるわけがありません。20代は常時接待モード、30代はどっちでもOK、40代以上は接待される側、みたいなカースト制度がありました。

社員旅行の費用をそのままキャッシュでくれよ・・・

 

その他の致命的な問題点

ノリが古いんよ

当時は分からなかったのですが、フリーランスになりSESであちこちの異なる現場を複数経験したり、同じIT業界でも旗色の違うWeb界隈で働くようになり、諸々勉強した結果、R社は根本的に

昭和のパワハラ気質体育会系のノリで全て行こうとする。
何故ならそれでここまでやってこれたから。
つまりこのノリについてこれないやつはダメなやつ。

という認識を令和時代の価値観にアップデートできない社員が非常に多かったんやなと。

私が辞めて数年後、今まで通りの恐怖政治の罵倒新人教育を続けていたら、新人が今まで以上に秒速で辞めすぎて誰も残らなくなったから、上層部が慌てて指導方針を罵声禁止にしたらしくてクソ笑いました。遅いわ(笑)

 

退職前提の大量採用→加速する退職コンボ

昭和の人余り時代ならよかったんでしょうけど、今の時代それをやったら一瞬でSNS等で広まってしまいますよ。それでいて採用に無駄なコストが〜とか一丁前に話していましたけど、そりゃそうやろとしか。
あーこれおいしそーとか言ってスーパーで大量に100万円分買って、わざと全部常温で放置して腐り始めて食べられなくなって99万円分を捨てるような事をしていたらそりゃ無駄なコストかかるやろ。

 

実力の伴わない現場の年配社員の横暴

長い年数の経験から職人のような技術的知見を教えてくれる年配社員も中にはいて、そのような人はすごく尊敬ができました。そういう人はやっぱりスキルでモノを言う感じがカッコよくて憧れるんですが、残念ながら50代以上の社員はほぼ全員が高圧的で、かつ仕事内容も「・・・?それだけ・・?」というのがほとんどでした。もっと高度な事をしてるのかと思いきや。
打ち合わせ用資料作成とかさ、それ20代の若手も同じようなことをやってますよね?

50代以上の社員は全員親会社B社からの移籍組なので当然会社のノリに適合していて、重役とも非常に仲の良い関係。50代以下の社員については、半分が転職タイミングを失ってダラダラいる組、残り半分がヨイショして美味しい汁を吸いにいく組。だいたいこんな構図。

 

激安賃金

ここまでの内容で、高給とまではいかなくても20代でも年収500~600万台にいくならまぁ我慢しても良いかなと思うのですが、入社5年目の時点で驚きの年俸370万円。入社1年目と比較して20万円ぐらいアップしました。つまり年4万円の昇給。言っときますけどみなし残業代40時間/月が含まれてますからね?

手取りに換算すると月24万程度。残業代が1hで1500円とすると、みなし残業を除いて18万円。そして家賃補助などの各種補助制度は一切ありません。

業界内で賃金が高いとか豪語していましたけど、そんなことありません。IT業界はもっと普通に高いです。みなし残業無しにしたら20万切る企業のどこが高いんだ??
まぁSES界隈では高いのかもしれませんけど(笑)

ちなみに同期でトンデモスペックが居ました。国立の超高学歴で、最強コミュ力、ITに関係ない国家資格(それ単体で飯食えるレベルの資格)を複数所持みたいな化け物スペックでしたが、それでも5年目で年収400万いってなかったんじゃないかな。他社行ったら最低800万余裕とかのスペックで、独立したらそれこそフリーランスで1000万も余裕で行けるレベルでした。なんでこんなとこいんの?ってずっと思っていました。

 

残業代?って何ですか?

R社では2年目から全員管理職として、みなし残業40時間/月ありの年俸制に移行します。

さてここで問題です。3年目社員の僕君は、1日の稼働は8時間(休憩除外)で、ある月は出勤日が20日あり、残業を50時間しました。僕君がもらえる残業代はいくらでしょうか?

答え:0円

解説
まずR社ではそもそも残業代という概念がありません。超過時間分は特別支給金という謎の制度により支給されますが、特別支給金は月の稼働が210時間以上にならないと支給対象にはなりません。

この特別支給金制度が今考えると謎システムすぎて、もう少し詳細を調べておけばよかったと思っています(´・ω・)

例えば上記の例題の場合、定時稼働をすると20日x8時間=160時間で、そこにみなし残業を含めると200時間になります。一方で特別支給金制度は210時間以降の稼働分に対して発生すると言うことなので、200~210時間の10時間分はたとえ稼働したとしても無支給です。多分ブラックホールに吸い込まれてなかったことになってたんじゃないかと思われます。

そもそもR社において、残業の請求は悪とされていました。残業自体は否定されていませんでした。

ここでR社役員の名言:
残業するヤツは能力が低いヤツだ。そもそも残業はスキルが高ければ本来発生しない。つまり単に勉強不足なだけ。残業を嫌がる前に己のスキルのなさを自覚しろ。むしろ勉強させていただきありがとうございますと思え。個人の勉強に金を出すなんておかしいと思わないか?

 

画期的な制度「特別支給金」

先述の残業代の項で登場した謎制度「特別支給金」の仕組みは、覚えている限りでは以下の通りです。
ちなみに特別支給金はあえて違う単語に置き換えています。本当の名称は違います。まぁ見る人がみればばれるんですけど。

特別支給金は月の稼働時間が210時間を超えた場合に申請可能
特別支給金の申請には現場責任者の承認が必要
特別支給金の申請自体は自分自身で行わなければならない
申請期限は90日(ちょっとあいまい)
特別支給金の支払対象稼働時間の上限は月稼働240時間迄、つまり30時間分/月(ちょっとあいまい)
特別支給金の上限は最大10万円
特別支給金は10時間単位ぐらいで支給額が変わったはず(おぼろげ)

なんで一律210時間から支給開始なのか、なんで上限が決まっているのか、今考えたら意味わからんシステムでした。当時はあまり疑問に思っていませんでしたけど。

 

ちなみに私の稼働時間最大は320時間/月です(これはフェイクじゃなくてガチ)
当然、特別支給金を申請しても最大10万円しか出ませんので、約160時間を10万円という超高額報酬で働いたことになります。

 

勤怠システムの落とし穴

勤怠は専用のエクセルファイルで管理するのですが、こいつが曲者でして、
・所定の時間は休憩時間として強制的に休憩扱いとなる
・休憩時間に稼働した場合、始業前後の稼働時間に加算して調整することは許されない
という仕組みでした。

例えば昼休憩のタイミングで緊急対応が入り、そのまま定時まで稼働したとします。その日の稼働時間は8時間で計算されます。9時間ではありません。定時後に1時間多めにつけるなんてことは許されません。お前が昼休まなかったのが悪いという考え方ですね。なので、勤怠システム上の数値と実稼働時間に大幅な乖離が発生する素敵システムでした。

ちなみに、前述の月320時間稼働したときの勤怠システムは250時間程度になっていました。つまり70時間分の稼働は闇に消えたことになります。まぁ闇に消えても上限の10万円しか出ないことに変わりはないのでアレですけど。

 

稼働200時間の壁

なんでかはわかりませんが、200時間を超えた稼働実績報告を連続して提出すると、上層部から呼び出しがかかり教育(意味深)されます。さらに直属の上司なども教育(意味深)となるので、なぜか月の稼働時間199.5時間の人が大量に出ていました。不思議だなぁ(棒)

 

路線バスの交通費がまさかの自腹

当時は実家から通勤していたのですが、実家から最寄り駅まで路線バスで12分、徒歩換算だと大人でも30分程度かかります。
が、社内規定で路線バスは「最寄駅と自宅の直線距離が2km離れていないと交通費として認めない」と定められており、実家と最寄駅までの直線距離が1.8kmだったので交通費として認められませんでした。なんだよ直線距離って・・・バカかよ・・・

「じゃあ駅まで自転車でいいですか?」
会社「は?自転車とか危ねぇだろ事故ったらどうするんだ。公共の交通機関のみで出勤は当たり前。常識で考えろ。」
(毎日駅まで徒歩30分、そこから電車で1.5時間は常識的ではないと思いますが)

退職までの5年間、路線バスの費用はずっと自腹で払っていました。路線バス代は月1万円なので年間だと12万円の自腹。5年間で60万円。ただでさえ少ない手取りがさらに少なくなります。

 

結論:全ては重役次第

結局のところ、R社の問題は、ある特定の重役Aの存在が原因の大半ではないかと思われます。顔がコワモテで声も大きく威圧的なので天下独走していました。俺に逆らう奴は何人たりとも許さん!みたいな。当然、社長のことは超絶ヨイショしまくっているので社長からの評価は高いんですよ。さらに50代以上も皆重役Aのオキニで構成されているので、お互いにヨイショしあっている構図。

一度重役Aに気に入られると、他の社員にも「こいつは重役Aのオキニだし俺も仲良くして重役Aにオキニ認定してもらお」と思われるのか、媚びへつらいが始まりお仲間が増えていくようです。

つまり、重役Aや年配社員を一生ヨイショし続けてお気に入り登録してもらえれば居心地の良い会社になるし、そうでないならさっさと立ち去れ。そんな会社がR社でした。スペシャリスト・技術特化の会社?ゴマすり技術の事だぞ?勘違いすんなよ(´・ω・`)

令和の時代に、そんな働き方や人間関係の構築ってあまりに前時代的すぎて頭大丈夫ですか?と思うんですが、ジャパニーズトラディショナルなのでなかなか無くならないですよね。

 

例外で、ちゃんとしている重役はいました

元々親会社B社の重鎮で、R社の監査役のようなポジションにいた重役Bが1人いました。その人は↑に挙げた重役Aとは異なり、見た目はガチモンの893みたいで怖いんですけど話方や接し方はすごく穏やかで、相手が新人だろうとキッチリ話を聞いてくれる人で、新人達の間では結構人気でした。確かバイクが趣味で、たまたま何かの行事の帰りに電車の中で話をした記憶があります。

ある目標進捗報告会の時に、相変わらず私は重役Aやその他からボッコボコに言われ続けていたのですが、暇だったのか突然重役Bが遅れて来て席に座って私の進捗報告資料に目を通し、一言ボソッと

「結構ええやん?がんばれな」

この一言で場の空気が一転、重役Aがまさかの「頑張れ。期待してるぞ」と笑顔でコメントを発する異常事態wwwwwww手のひら高速回転でねじ切れるレベルwwwwwさっきまで言ってたことと180度違うやんけwwwwwww

まぁこの程度なので、重役から何か指摘されても何とも思わなくなりましたよ。ただ個人攻撃したいだけで中身なんて空っぽなんです。自分より上位の存在の意見が絶対正義という体育会系の鉄の掟があるだけなんですよ。

 

限界おじさんの身体の変化

肝臓さんの悲鳴

R社に勤めてから辞めるまで、毎年健康診断に引っかかっていました。主に肝臓の数値が全て「F」または「FF」判定で要精密検査でした。健康診断の結果の紙は機械印刷されたものが届くのですが、機械印刷された紙に医師の直筆で「早急に病院で精密検査をしてください」と書かれていたのはなかなかに衝撃でした。写真を撮ったはずなんだけど残っていないな・・・どこ行ったんだ。

FF判定は初めて見たってことで、これが本当のファイナルファ〇タジーや!!は私の当時の持ちネタの一つでした。

ちなみに初めてFF判定を取った事で、FF判定後に病院へ通院して1年以上治療継続中の場合、FF判定ではなくEE判定になることも初めて知りました。EE判定自体の説明文で何を書かれていたのかまでは忘れましたが、「数値だけみるとFF判定だけど継続治療中だからヨシ!(良いとは言っていない)」という意味だった気がします。

血液検査の結果を見た家の近所のかかりつけ医の第一声が「お酒飲み過ぎなんですよ」
まぁ数値だけ見ればそうだと思います。が、残念ながらお酒は数ヶ月単位で飲んでいないんすよ。焼肉を毎日食べていたわけでもないんですよ。って言ったらだいぶ驚かれましたけど。

そりゃ、毎日深夜まで働いたり現場に泊まったりで自律神経をメタメタにやっつけたり、眠気覚ましにエナドリを常飲しまくったり、夜中の3時に職場の休憩室にあるカップラーメン自販機でカップ麺を食べたりしていたらこうなるよな。

当然、かかりつけ医からは転職を勧められました。

ちなみに、サムネ画像でもある以下の画像は、ハイパーデスマーチ中になんとか時間を見つけて実施した血液検査の結果です。この血液検査の時は酒を1年ぐらい飲んでいなかったんですが、それでコレ。何故か痛風は出なかったんですけど、GOTとGPTの値が限界突破しています。
※中性脂肪は遺伝で高いっぽい。まぁ言うて700は高杉なんですがね。

 

充血した目

毎日毎日12時間くらいパソコンのモニタを眺めて、往復4時間の通勤時間で睡眠時間は満足にとれず、という生活を続けた結果、目の充血が取れなくなりました。目薬でなんとか誤魔化していましたが。

これが本当の”レッドアイズ”ブラック会社・・・なんちって☆(ゝω・)v キャピ

 

全身の謎の痒み

ずっと悩まされていたのですが、会社員時代はずっと身体中が突然痒くなり掻いているとみみず腫れのように赤く腫れ上がったりする現象が発生していました。痒くなる場所は毎回異なりますが本当に痒くて、限界を迎えて早退したり遅刻したりで病院通いしていました。結構な期間皮膚科に罹って色々な薬を試しましたが一切効果がなく。皮膚科の先生も謎っすねとの事で。。

おそらく根本的な原因は「肝臓の限界」「ストレス」だったのではと思っています。仕事を辞めてから1週間ほど自由で清く正しい生活を謳歌していたら治りました。

後遺症なのかわかりませんが、今でも少し無茶をして働いたり疲れるようなことをすると身体が痒くなります。そういう時は早く寝たり、肝臓に優しい食生活をすると一瞬で治ります。

 

虫歯だらけ

5年間の間で何回行ったかわからない程度には歯医者に行っていました。それくらい虫歯になっていました。歯医者からは「体質的に歯が弱い」とのことでしたが、おそらく根本的な原因は「ストレスによる唾液の極端な減少」と「圧倒的水分摂取不足」ではないかと思っています。なぜなら歯磨き習慣を特に変えていないのに、R社を辞めてフリーランスになってから虫歯が0本だからです。

 

精神が壊れる音

「そんなブラック会社、さっさと辞めりゃいいじゃん」「いや、辞めるという判断ができなくなるんだよ」などとよく言われますが、まさにその通りでした。
正常な思考回路ではないので、常に「あれ今日提出期限だよな。来週提出期限だけど今日少しだけ進めておくか。この仕事を誰かにやらせちゃうとかえって自分の仕事が増えるよな。コレは自分がやらないとダメだ。今のうちにあれもやっておこ・・」とか一生頭の中でグルグルして考えてしまうんですよね。そこに辞めるという選択肢が入らなくなるんです。

私の場合、たまたまPJ参画期限の終了&他社引き継ぎという絶好の機会が到来したので、無事他社の人に押し付けると同時に辞められたというわけです。もし他社引き継ぎがなかったら今頃墓の下だったと思います。

 

退職直後

社会人1年目当時は子供部屋おじさんで、両親も「最低でも3年は働け」「ニートは許さん」「苦労は当たり前」という考えだったようですが、毎日深夜に帰ってきたりそもそも帰ってこなかったり、休日出勤・正月出勤・深夜出勤なんでもござれの生活を続けて3年間でみるみる壊れていく息子の様子を見て考えを改めたようです。退職後2ヶ月ぐらいニートしていましたが特に何も言われなかったです。一言「半年くらい休んだら?」だけ。

ガチでIT業界に嫌気がさしていたので他業種に行こうかなっと布団の上でゆるゆると考えていたら、ネトゲ&パチスロ仲間からお仕事のお誘いがありまして、結局ニートしていたのは2ヶ月だけでした。
まぁそこからも波瀾万丈な感じで色々あって今のお仕事に落ち着いたわけなのですが、詳細はまたどこかで・・・

 

現在はとある企業専属のフリーランスのシステムエンジニアとして働かせていただいています。完全テレワークなのでQoLとしては会社員時代とは比較にならないほど向上しています。なんたって通勤0秒ですからね。
お賃金としても、会社員とフリーランスの違いを考慮しても年収ベースで1.5~2倍程度は頂いています。当時が安すぎただけですが。

もともとはWeb未経験のチャレンジ枠的なもので働かせてもらい始めたのですが、R社で超限界管理職をやっていたこともありまして、その時の経験を買っていただきそのまま専属として契約頂いたという流れです。そう言う意味でR社での経験は生きています。ありがとうR社。君のことは忘れないよ。忘れたいけどな。

 

最後に、これから就活を迎える学生へ

身体が壊れる前に辞めろマジ。壊れそうなやつが身近にいたらぶん殴ってでも辞めさせろ。一度身体が壊れたらなかなか戻らんぞ。

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